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大阪高等裁判所 昭和61年(う)149号 判決 1986年7月02日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年四月に処する。

押収してあるチャック付ビニール袋入り覚せい剤一袋(当庁昭和六一年押第九二号の1)を没収する。

昭和六〇年一〇月一二日付起訴状記載の公訴事実第二(原判示第八の事実)、同年一一月六日付起訴状記載の公訴事実第三(原判示第一一の事実)及び当審で追加された予備的訴因にかかる公訴事実につき、被告人はいずれも無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人谷口光雄及び被告人作成の各控訴趣意書記載のとおり(但し、弁護人は、被告人作成の控訴趣意書中第二事実及び第三事実についての記載は、事実誤認を主張するものではなく、量刑不当の事情として記載したものである旨釈明した。)であるから、これらを引用する。

各論旨は、いずれも量刑不当を主張し、本件については原判決の刑期を短縮し、原審段階における未決勾留日数も本刑に算入されたい、というのである。

所論に対する判断に先だち、まず職権をもつて調査するのに、原判決は、判示第八の事実として、「前記日時ころ(すなわち、昭和六〇年九月一日午後二時ころ)、前記車両(すなわち、普通乗用自動車)を運転し、前同所(すなわち、大阪市大淀区本庄東二丁目二番二三号付近道路)を南から北に向かい、進行するにあたり、考えごとをして前方の安全を確かめないまま時速約五〇キロメートルの速度で進行したため、進路前方で停止していた田端好晴(当時三五歳)運転の普通乗用自動車に追突し、もつて他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなかつた」旨、また、同第一一の事実として、「前記日時ころ(すなわち、昭和六〇年一〇月一日午後一時一五分ころ)、前記車両(すなわち、普通乗用自動車)を運転し、前同所(すなわち、大阪市大淀区本庄東三丁目五番一五号付近道路)を南から北に向かい進行するにあたり、考えごとをして前方の安全を確かめないまま時速約七〇キロメートルの速度で進行したため、進路前方で減速進行中の正田裕彦(当時三一歳)運転の普通乗用自動車、その前方で停止中の内匠屋重雄(当時四一歳)運転の普通貨物自動車、同太田岳志(当時二三歳)運転の普通貨物自動車に順次玉突き式に追突し、もつて他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなかつた」旨、いずれも、各公訴事実(昭和六〇年一〇月一二日付起訴状公訴事実第二及び同年一一月六日付起訴状公訴事実第三)の記載に副う事実を認定し、右両事実に対する罰条としては、「道路交通法一一九条一項九号、七〇条」を掲げている(以上の事実は、原判決書により、明らかである。)。これによると、原判決は、その趣旨必ずしも明らかではないが、右各認定の事実を、道路交通法七〇条所定のいわゆる安全運転義務違反罪の故意犯として処罰する趣旨であると認めざるをえない。

ところで、道路交通法七〇条、一一九条一項九号(二項)所定の安全運転義務違反罪は、同法の他の各条に定められている運転者の個別的義務を補充する趣旨で設けられたものであるが、解釈の仕方のいかんによつては、その処罰の範囲が不当に広がりすぎる危険があることにかんがみると、同罪の構成要件に該当する行為は、車両等の危険な運転行為のうち、当該の道路、交通及び車両等の具体的状況に照らし、一般的にみて事故に結びつく蓋然性の高い危険な速度・方法によるもののみに限られると解するのが相当である。従つて、また、同罪に関する有罪判決中の「罪となるべき事実」の摘示にあたつては、当該の具体的運転行為が、右に述べた意味において事故に結びつく蓋然性の高い危険な速度・方法によるものであることを示す具体的事実関係を明らかにするとともに、これを故意犯として処罰するときは、かかる危険な運転をすること自体につき被告人の認識・認容がある事実を、また過失犯として処罰するときは、これが被告人の過失によつて行われた事実を、いずれも判文上明示することが要求されていると考えるべきである。

かかる観点に基づき本件について考えてみるのに、原判決が「罪となるべき事実」として摘示するところの要点は、1 被告人が、考えごとをして前方の安全を確かめないまま時速約五〇キロメートル(第八事実)又は約七〇キロメートル(第一一事実)で進行したこと、及び、2 被告人が、進路前方で停止していた先行車に自車を追突させたことの二点に尽きるところ、右認定事実のみによつては、原判決が、安全運転義務違反罪の構成要件に該当する行為としていかなる事実を考えているのか、従つてまた、右行為を被告人が故意で行つたのか過失により実現したとする趣旨なのかが、必ずしも明らかではないといわなければならない。もつとも、さきに摘示した原判示事実中「……したため、……追突し」の記載からすれば、原判決は、2により構成要件該当行為を、1によりそれが故意により実現された趣旨を表現したものと解されないではないが、「考えごとをして前方の安全を確かめないまま……進行した」という判示から、先行車との衝突を故意により惹起したとの趣旨を読み取ることは困難であるし、そもそも、単に自車を先行車に追突させたという摘示だけでは、それが一般的にみて事故に結びつく蓋然性が高い危険な運転行為であることを表わすのに十分でない。この点の非難を回避しようとすれば、原判決は、被告人が「前方の安全を確かめないまま時速約五〇キロメートル又は約七〇キロメートルの速度で進行した」こと自体を、安全運転義務違反罪の構成要件に該当する行為として摘示したもので、前記2の点は情状に関する記載にすぎないと解するほかはないが、当時の道路・交通状況、前方注視を欠いて進行した距離・時間等を一切捨象し、右の行為のみによつて、これを一般的にみて事故に結びつく蓋然性の高い危険な速度・方法による運転であると認めることはできないし(例えば、交通閑散な道路を時速約五〇キロメートルで進行中、運転者が一瞬前方注視を欠いたからといつて、直ちに安全運転義務違反罪の構成要件に該当する行為が行われたと解することが不当であることには、異論はあるまいと思われる。)、「考えごとをして……」という判示に、被告人が前方を注視しないで前記速度により進行すること自体について認識・認容を有するとの意味を持たせるのは、通常の用語例に照らして無理である。

以上のとおり、原判示第八及び第一一の各事実に関する原判決の認定は、安全運転義務違反罪の故意犯の「罪となるべき事実」として要求される必要最少限度の記載を具備していないといわなければならないから、原判決には、右の意味において理由不備の違法があるというべきところ、原判決は、右各事実を原判示のその余の事実と併合罪の関係に立つものとして一個の刑を科しているから、原判決は全部破棄を免れない。

よつて、各論旨に対する判断を省略して、刑事訴訟法三九七条一項、三七八条四号により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に則り、当審において直ちに、次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

当裁判所が認定する「罪となるべき事実」は、原判示第八及び第一一の各事実を除外し、第九、第一〇、第一二の各事実を、それぞれ第八、第九、第一〇と読みかえるほか、原判決が認定するそれと同一であるから、右のとおり修正のうえこれらを引用する。

(証拠の標目)<省略>

(累犯前科)

原判決が認定・判示するそれと同一である。

(法令の適用)

被告人の判示第一、第四、第五の各所為は、いずれも覚せい剤取締法一九条、四一条の二第一項三号に、同第二の所為は、同法一四条一項、四一条の二第一項一号に、同第三の所為は、同法一七条三項、四一条の二第一項二号に、同第六、第七、第九の各所為は、いずれも道路交通法六四条、一一八条一項一号に、第八、第一〇の各所為は、いずれも同法七二条一項後段、一一九条一項一〇号に各該当するところ、判示第六ないし第一〇の各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人には原判示前科があるので、判示各罪の刑に、刑法五六条一項、五七条によりいずれも再犯の加重をし、以上の各罪は、同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、刑及び犯情の最も重い判示第三の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役二年四月に処し、押収してあるチャック付ビニール袋入り覚せい剤(当庁昭和六一年押第九二号の1)の没収につき覚せい剤取締法四一条の六本文を、原審及び当審における訴訟費用の負担免除につき刑事訴訟法一八一条一項但書を各適用する。

(量刑の理由)

本件は、原判示累犯前科を含む覚せい剤取締法違反(四犯)等の前科合計七犯を有し、覚せい剤に関する著しい親和性を有する被告人が、前刑執行終了後わずか一年しか経過しないうちにまたもや覚せい剤の自己使用を始め、約一〇か月の間に、覚せい剤の自己使用罪三回、同所持罪(約一・七九四グラム)一回、同譲渡罪(約一グラム)一回のほか、無免許運転罪三回、報告義務違反罪二回を順次くり返したという事案であつて、右各犯行の罪質、態様、回数、所持・譲渡にかかる覚せい剤の量、さらには被告人の覚せい剤との親和性の程度等をも考慮すると、弁護人及び被告人が各控訴趣意中で指摘する情状を斟酌しても、主文の刑はやむをえないところであり、原審における審理経過、勾留期間等に照らし、原審における未決勾留日数を本刑に算入する必要はないものと認める。

(一部無罪の理由)

昭和六〇年一〇月一二日付起訴状記載の公訴事実第二及び同年一一月六日付起訴状記載の公訴事実第三は、職権判断の際摘記した原判示第八及び第一一の各事実と同旨であり、また、右一一月六日付起訴状記載の公訴事実第三につき、検察官が当審において追加した予備的訴因にかかる公訴事実は、被告人は、右第三記載の日時ころ、同記載の車両を運転し、前同所を「南から北に向かい進行するにあたり、進路遠方には信号のため停止中の車両があり、かつ、前方を同一方向に進行中の先行車両も認めていたのであるから、運転中は絶えず前方を注視し、かつ速度を適宜減速するなどして他人に危害を及ぼさない速度と方法で進行すべき注意義務を怠たり、自車が路面の凹凸を通過して上下に揺れたことに気を奪われ前方を注視しないまま速度を時速約七〇キロメートルの速度で進行したため、進路前方で減速進行中の正田裕彦(当時三一歳)運転の普通乗用自動車他二台の自動車に順次玉突き式に追突し、もつて過失により他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなかつた」ものである、というのである。そこで、以下、右各公訴事実の存否につき検討する。

すでに述べたように、安全運転義務違反罪は、当該の道路・交通及び車両等の具体的状況に照らし、一般的にみて事故に結びつく蓋然性の高い危険な速度・方法による運転を故意又は過失によつて行つた場合に適用されるべきものであるから、同罪の成否を決するにあたつては、当該の具体的運転行為が右に述べた意味において危険性の高いものであるか否かを検討し、これが肯定された場合には、かかる運転をすること自体につき、運転者の認識・認容又は注意義務違反が存するかどうかを、さらに考究しなければならない。これらのことは、再三にわたる最高裁判所の判例(第二小法廷昭和四六年五月一三日決定・刑集二五巻三号五五六頁、第一小法廷同年一〇月一四日判決・刑集二五巻六号八一七頁、第一小法廷同四八年四月一九日判決・刑集二七巻三号三九九頁)の趣旨に照らして明らかなところと思われる。そこで、右の考え方に基づいて、本件について検討するのに、まず、原判示第八の事実に関し証拠上肯認しうる事実関係は、① 被告人は、原判示自動車を運転して、片側三車線の原判示道路を時速約五〇キロメートルの速度で北進していたこと、② 被告人の進路前方には、同方向に進行する車両があり、さらにその前方には、信号機により交通整理の行われている大きな交差点(天神橋八丁目交差点)があつて、何台かの車両が信号待ちしていたこと、③ 被告人は、同交差点の数十メートル以上手前の地点で考えごとをはじめ、ぼんやりした状態で約五〇メートル進行したが、その直後、同交差点手前で信号待ちのため停止した先行車が、前車二台に続いて停止しているのを発見し、急制動の措置をとつたものの間に合わず、前車に自車を追突させたこと等に尽きる。そして、右のような道路・交通状況のもとにおいて、被告人が、前方注視を欠いたまま、時速約五〇キロメートルの速度で約五〇メートル進行した行為は、一般的にみて事故に結びつく蓋然性の高い危険な速度・方法によるものと認められるから、本件においては、安全運転義務違反罪の構成要件に該当する行為の存在を肯認しうるけれども(なお、本件起訴状公訴事実及び原判決の「罪となるべき事実」は、いずれも、被告人が自車を前車と衝突させた事実を摘記し、あたかもこれが同罪の構成要件該当行為であるかのような体裁をとつているが、前車との衝突の事実は、同罪の成否について本質的な意味を有するものではない。このことは、前掲最高裁の各判例以来、判例・学説上つとに指摘されているところであるのに、実務の運用が一向に改善されないのは、遺憾なことである。)、被告人に、かかる運転行為に対する認識があつたとは認められず、せいぜい過失の存在を肯認しうるに止まる。検察官は、あるいは、考えごとをしながら運転をするという認識がある以上、被告人に前方不注視のまま運転を継続することの認識・認容があると認めうるという見解に立つかとも思われるが、考えごとをするということと前方の注視を欠くということとは、(その間に密接な関連があることはこれを否定し難いにしても、)必ずしも同義ではなく、前者は後者の原因たる事実にすぎないし、本件における考えごとも、被告人が意識的にしたというのではなく、無意識のうちにこれに陥つた疑いも十分あるのであつて、いずれにしても、被告人が、前方注視を欠いた状態で相当距離自車を走行させることを認識・認容していたと認めるのは無理である。従つて、右事実につき、安全運転義務違反罪の故意犯を主張する昭和六〇年一〇月一二日付起訴状公訴事実第二については、その証明がないことに帰着する。(なお、当裁判所としては、被告人が公訴事実を全面的に認め、控訴趣意においてもこの点に関する何らの指摘のない本件訴訟の審理経過にかんがみ、当審において、検察官に対し訴因につき検討の機会を与えたが、検察官は、原判示第一一事実につき予備的訴因を追加しただけで、同第八事実については、何らの訴因を追加しなかつたものである。)

次に、原判示第一一事実に関し証拠上肯認しうる事実関係は、① 被告人は、原判示自動車を運転して、原判示道路(被告人車の進行していた北行車線は二車線、対向の南行車線は三車線)を、制限速度(時速四〇キロメートル)を超える時速約七〇キロメートルの速度で北進していたこと、② 被告人は、後記衝突地点の約一四〇メートル手前の地点で、車線を変更してバイパスへ左折するため、ゆつくり左転把したが、その時前方約六〇メートルの地点に先行車がいたこと、③ 被告人は、その後左折を思い止まり、約六〇メートル進行した地点で右転把したところ、間もなく、車輪が路面に設置されたゴム製の杭に乗り上ず、車体が震動したため、これに気を奪われ、前方注視を欠く状態に陥つたが、そのままの速度で約三〇メートル進行したこと、④ その間、前方の信号機のある交差点手前に差しかかつた先行車は、その手前で停止中の他の車両に続いて停止するため減速除行中であつたこと、⑤ しかし、被告人は、前記③の理由により、減速除行中の同車に約七メートルに迫つてはじめて気付き、急制動したが及ばず、同車に自車を追突させるとともに、その前方で停車中の車両二台と、順次玉突き事故を惹起したことに尽きる。(なお、被告人の昭和六〇年一〇月一四日付司法警察員調書には、同日付実況見分調書添付の現場見取図③地点で、速度を時速六〇キロメートルから同七〇キロメートルに加速した旨の記載があるが、被告人は、当審公判廷において右加速の事実を否認し、先行車に当つたときその位の速度だつたのではないかと供述しており、被告人が、ゴム製の杭による車体の震動を感じた直後にわざわざ加速したというのは、やや不自然であるから、③地点における加速の事実は、これを認定しない。また、被告人は、捜査段階以来、前方注視に欠けるに至つた理由として、路面に設置されたゴム製の杭に乗り上げ衝撃を感じたことを具体的に供述しているところ、右「ゴム製の杭」がいかなるもので、道路のいかなる部分にどのような状況で設置されていたのかを明らかにする証拠は提出されていない。被告人は、当審において、自車が右杭に乗り上げてガタガタしたのは、右見取図の「②から③の間のセンター車線」上である旨供述しているが、それ以上の具体的供述は得られていないので、被告人がゴム製の杭による震動に気を奪われてから前方注視に欠ける状態で進行した距離は、前記捜査段階の供述《前掲現場見取図の③地点から④地点までの距離約二六・六メートル》よりやや多目の約三〇メートルと認定するに止めた。)

しかして、本件におけるように、前方約六〇メートルに先行車がいる道路上を、制限速度(時速四〇キロメートル)を大幅に超過する時速約七〇キロメートルの速度で、前方の注視不十分のまま約三〇メートル走行するという行為は、一般的にみて事故と結びつく蓋然性の高い危険な速度・方法によるものといえないことはないと思われる。しかしながら、被告人が、前方注視を欠くに至つたのは、路上に設置されたゴム製の杭に車体が乗り上げた震動に気を奪われたためであり、被告人に、前方注視を欠いたまま相当距離進行することについての認識・認容があつたとはいえないから、本件につき、安全運転義務違反罪の故意犯が成立しないことは、明らかである。そこで、次に、当審において予備的に追加された過失犯の訴因について検討するのに、被告人が右のような車体の震動に気を奪われたことも、被告人の落度とはいえないことはないから、本件につき安全運転義務違反罪の過失犯の成立を認める見解も、もとよりありえないわけではないであろう。たしかに、先行車に追従中の車両の運転者が、右のような理由から一瞬前方注視を欠いたすきに先行車が停止して追突し、人身事故を惹起したような場合に、右運転者に業務上過失致死傷罪の成立することを否定する者はいない。しかし、業務上過失致死傷罪が、現実に生じた人の死傷という重大な結果に原因を与えた注意義務違反の刑責を問うものであるのに対し、過失による安全運転義務違反罪は、事故に至る前段階の危険な運転行為自体に対する過失責任を問うものであるから、同じく過失といつても、各構成要件の予定する注意義務違反の程度には、おのずからちがいがあると解されるのであつて、より具体的にいえば、人の死傷という結果に原因を与えた注意義務違反は、ささいなものでも過失と評価されうるが、その前段階の行為の可罰性を基礎づける過失からは、通常の運転者心理からみてある程度やむをえないような軽微・瞬間的なものは除かれるということになろう。もし、そうではなく、いやしくも業務上過失致死傷罪における過失と評価されうる程度の注意義務違反がある限り、その前段階の安全運転義務違反行為についても必ず過失があると考えなければならないとすると、同罪の構成要件該当行為を前記のように限定的に解釈してみても、その処罰の範囲が、なおかつ広きに失し相当でないと思われる。

そこで、以上の前提に立つて、本件につき考えてみると、車体が路上の異物に触れて震動した場合に、運転者が一瞬これに気を奪われて前方注視がおろそかな状態に陥ることは、日常往往にして起こりうることであり、運転者の心理として、ある程度やむをえないという面があると同時に、これによつて被告人が前方注視を欠いて進行した時間は、当時の被告人車の速度と進行距離に関する前記の認定を前提とすると、わずかに約一・五秒間であつて、右のような理由によりかかる短時間前方注視を欠いた点を捉えて、被告人に安全運転義務違反罪の過失犯が成立すると考えるのは、相当でないというべきである。もつとも、当時、時速約七〇キロメートルという高速で進行中の被告人としては、車体の震動に気を奪われて前方注視が困難になつたのであれば、直ちに速度を調節して安全な速度で進行すべき注意義務があるというべきであり、検察官が予備的に追加した訴因中で「速度を適宜減速する」義務を主張しているのは、右の観点から首肯しうる。しかしながら、本件事実関係のもとにおいては、被告人が車体の震動に気を奪われたのち、速やかに減速措置を講じたとしても、その間の反応時間、空走時間などを考慮すれば、問題の三〇メートルの大半は、全く又はほとんど減速されないままの状態で通過してしまうと考えられるので、被告人の減速措置義務違反の過失を肯定してみても、右過失は、「前方注視を欠いた状態における時速約七〇キロメートルによる約三〇メートルの走行」という本件安全運転義務違反罪の構成要件該当行為との間に因果関係を有しないというべきである。このように考えると、原判示第一一事実に関しては、故意による安全運転義務違反罪はもちろん、過失によるそれも、その成立を認めることが困難であるといわなければならない。

右のような結論に対しては、制限速度を大幅に超える高速による旨運転を放任するのかという批判がありうるかと思われる。しかし、同じく前方注視義務違反といつても種々の態様のものがありうるのであつて、当裁判所といえども、さしたる理由もなく、ある程度の時間継続して行われた前方不注視運転(原判示第八事実におけるそれなどが、適例である。)の可罰性まで否定するものではないし、軽微・瞬間的な前方不注視義務違反の場合でも、これにより人身事故が惹起されたときは、その結果に対する過失責任を問いうることは当然であるから、右の批判はあたらない。そして、よく考えてみると、原判示第一一事実における運転行為の危険性は、じつは、主として制限速度を大幅に超える高速運転の点にあるのであつて、かかる行為は、むしろ速度違反罪により処罰するのが本来の筋であり、それとは別に、右の運転中に行われたささいな前方注視義務違反を捉えて、過失による安全運転義務違反罪の成立を肯定するときは、元来、他の各条所定の運転者の個別的義務を補充するという目的で設けられた安全運転義務違反罪の立法の趣旨にも背反する結果を招来してしまうことにもなろう。

以上の理由により、当裁判所は、前記各公訴事実については、いずれもその証明がないとの結論に達したので、刑事訴訟法三三六条により、右各公訴事実につきいずれも無罪の言渡しをすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松井 薫 裁判官木谷明 裁判官生田暉雄)

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